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自分たちで撮る写真と、私たちが撮る写真

  • 執筆者の写真: イツモノヒカリ
    イツモノヒカリ
  • 8月19日
  • 読了時間: 4分

更新日:8月20日

「日常の家族写真なら、自分たちでも撮れるのでは?」


そう思われる方もいるかもしれません。


実際、その通りだと思います。


スマートフォンがあれば、子どもの笑った顔も、今日の夕ごはんも、公園で遊んでいる姿も、いつでも残すことができます。


そして、そうして家族の中で撮られていく写真は、とても大切なものです。


私たちが撮りたいのは、その代わりになる写真ではありません。


では、自分たちで撮る写真と、私たちが撮る写真には、どんな違いがあるのでしょうか。


家族の中にいると、見えにくいもの


家族の中にいる私たちは、いつも誰かとの関係の中にいます。


川辺の野外で、笑顔の両親と2人の子どもが並ぶ家族写真。父は赤ちゃんを抱き、母は幼児を寄せて立っている。

子どもを見つめるお母さんの表情。

その二人を少し離れたところから見ているお父さん。

兄や姉のあとを追いかける末っ子。

誰かが笑ったとき、その声につられて振り返る家族。


そうした姿は、毎日の暮らしの中ではあまりにも自然で、自分たちでは意識していないことも多いものです。


そして、自分がカメラを持っているとき、その自分自身は写真の外にいます。


私たちは家族の少し外側に立つことで、本人たちには見えにくい、まなざしや仕草、互いの距離を見ています。


何をしているかだけではなく、誰が誰を見ているのか。

どのくらい離れているのか。

誰かが動いたとき、周りの家族がどう反応するのか。


そこに、そのご家族らしい関係が表れることがあります。


屋外の草原で、ピンクのオーバーオールと緑白ボーダー服の双子の幼い女の子が抱き合っている、柔らかな日差しの穏やかな写真

私たちにとって家族写真を撮ることは、家族をきれいに並べることだけではなく、そうした関係を見つけていくことでもあります。


一枚ではなく、その日に流れていた時間を


もうひとつ、自分たちで撮る写真との違いとして感じているのが、時間の残し方です。


日々撮っている写真は、一瞬一瞬の大切な記録として少しずつ増えていきます。


それに対してイツモノヒカリでは、ひとつの撮影の中でたくさんの瞬間を撮り、その中から40カットを選び、ひとつのまとまりとして整えてお渡ししています。


最初は少し緊張していたこと。


遊んでいるうちに表情が変わっていったこと。


途中で疲れて抱っこされたこと。


誰かの一言でみんなが笑ったこと。


そうした前後の時間が一緒に残っていることで、一枚だけでは見えなかった「あの日」が少しずつ立ち上がってきます。


私たちにとって40カットは、単に写真が40枚あるということではありません。


その時間を、ひとつのまとまりとして持ち帰っていただくための写真でもあります。


白い服の人物が、ガラス皿の丸いパンケーキをナイフとフォークで切り分けている、明るい食卓の接写。
青い星柄のボウルに、アイシングのかかった三角形のケーキとクリームが入っている。白いテーブル上で食べかけの様子。
明るい部屋で、果物柄のスタイを付けた幼児がスプーンを持ち、テーブルのボウルのアイスクリームのせパンケーキを食べようとしている。

「上手に撮る」だけではなく


プロに家族写真を頼むというと、きれいな写真や、高画質な写真を撮ってもらうことを思い浮かべるかもしれません。


もちろん、光を見たり、構図を考えたり、写真として丁寧に仕上げることは、私たちの仕事の大切な部分です。


けれど、それだけなら、イツモノヒカリでなくてもできることだと思っています。


私たちが大切にしているのは、


どこから家族を見るのか。


そして、


その時間を、どんなまとまりとして残すのか。


ということです。


イツモノヒカリでは夫婦ふたりで撮影しています。


同じ時間を見ていても、立っている場所も、目に留まるものも少しずつ違います。


一人が目の前の出来事を撮っているとき、もう一人はその少し外側で起きていることを見ていることがあります。


明るい室内で、赤茶髪の女性が一眼レフを手に、手で目元を隠しながら家族を見ている。

そうして複数の視点から拾った写真が重なることで、その日の家族の姿を、ひとつの視点だけに閉じないで残すことができればと思っています。


自分たちで撮る写真も、これからも


だからといって、普段の写真をプロに任せてほしいとは思っていません。


今日の寝顔。

少し変な顔。

食卓の向こう側から撮った一枚。

何でもない帰り道。


そういう写真は、これからもたくさん撮ってほしいと思います。


家族の中にいるからこそ撮れる写真があります。


そして、家族の少し外側にいる人だからこそ見つけられるものもあります。


どちらか一方ではなく、その両方が残っていくこと。


何年か後に写真を見返したとき、


「こんな顔をしていたんだね」


だけではなく、


「私たちは、こんなふうに一緒にいたんだね」


と思えること。


川辺で、麦わら帽子の幼児を抱く男性と、後ろでしゃぼん玉を吹く子ども。芝生の上で、明るく穏やかな夏の雰囲気。
青空の下の緑の河川敷で、青いワンピースの少女が飲み物を飲み、父親が子どもを抱え、女性が写真を撮っている。

イツモノヒカリが残したい家族写真は、そんな写真なのだと思います。


 
 
 

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