写真が、暮らしの中で整うまで
- Utsushi/うつし(夫)

- 7 日前
- 読了時間: 3分
イツモノヒカリでは、撮影した写真をデータでお渡しするだけでなく、
フォトブックやフレーム、台紙など、手に取れるかたちにすることも大切にしたいと考えています。
これまで、そのことを「仕立て直し」という言葉で表現していました。
写真を、もう一度かたちにする。
見返しやすいように整える。
暮らしの中に置けるものにする。
そういう意味では、間違っていない言葉だったと思います。
けれど、改めて考えてみると、
「仕立て直し」という言葉には、少しだけ、こちらが手を加えて良くしてあげるような響きがあるかもしれません。
本当は、そういうことではないのです。
僕たちがしたいのは、写真を別のものに作り替えることではありません。
その家族にすでにあった時間や光を、暮らしの中で見返せる状態に整えることです。
最近、「整う」という言葉が気になっています。
整う、というのは、無理に飾ることではない気がします。
足りないものを足して、きれいに見せることでもない。
散らばっていたものが、あるべき場所に収まる。
少し呼吸がしやすくなる。
見えにくかったものが、静かに見えてくる。
写真をかたちにすることも、それに近いのかもしれません。
撮影した写真は、データとして残すことができます。
スマホやパソコンの中にあれば、いつでも見返せる。
それはとても便利で、大切な残し方です。
でも一方で、データの中にある写真は、日々の情報の中に流れていってしまうこともあります。
撮ったはずなのに、あまり見返さない。
たくさんあるのに、どこにあるかわからない。
残しているのに、暮らしの中では少し遠くにある。
そういうことも、今の時代にはよくあると思います。
写真を本にする。
額に入れる。
台紙に収める。
小さなカードのように手元に置く。
それは、写真を特別に飾り立てるためだけではありません。
その家族の時間が、暮らしの中に戻ってくるためのかたちなのだと思います。
棚に置いてある一冊のフォトブックを、ふと手に取る。
壁に飾られた写真が、毎日の中で目に入る。
子どもが大きくなってから、自分の小さかった頃の写真を開く。
親が、忙しかった日々を少し離れた場所から見返す。
その時、写真はただの記録ではなくなる気がします。
気持ちを少し落ち着かせたり、
忘れていた時間を思い出させたり、
今の暮らしの中に、もう一度小さな光を戻してくれたりする。
写真には、そういう働きもあるのではないかと思います。
だから、僕たちが届けたいのは、
「撮って終わり」の写真ではありません。
データとして残ること。
手に取れること。
飾れること。
家族の中で、何度も見返されること。
その一つひとつを通して、写真がその家族の暮らしの中で少しずつ整っていく。
そんな届け方ができたらと思っています。
もちろん、すべての写真をかたちにする必要はありません。
データのまま大切に残る写真もあります。
スマホの中で何度も見返される写真もあります。
ただ、何枚かでも、暮らしの中に置けるかたちになったとき、写真との距離が少し変わることがあります。
見るために探す写真ではなく、
暮らしの中で自然に出会う写真になる。
その変化は、小さいけれど、大切なことだと思います。
僕たちは、写真を完成させるために手を加えたいのではありません。
その写真が、その家族の中で長く息づいていけるように。
時間が経っても、何度でも見返せるように。
日々の中で、少し心が整うきっかけになるように。
写真を、暮らしの中で整える。
イツモノヒカリの写真の届け方を、
これからはそんなふうに考えていきたいと思っています。



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