「映える写真」と「残る写真」は別物かもしれない
- Utsushi/うつし(夫)

- 6月16日
- 読了時間: 2分
写真を撮っていると、
「映える写真」と「残る写真」は、少し違うものかもしれないと思うことがあります。
明るくて、整っていて、パッと目を引く写真。
背景もきれいで、表情もよくて、SNSで見たときに思わず手を止めるような写真。
そういう写真は、もちろん素敵です。
僕たちも、光や構図、色の美しさは大切にしています。
でも、家族の写真を撮っていると、
それだけでは説明できない一枚に出会うことがあります。
少し髪が乱れていたり、
笑顔ではなく、むしろ不機嫌そうだったり、
部屋の中におもちゃが散らかっていたり。
いわゆる「完璧な写真」ではないのに、
その家族にとっては、なぜか忘れられない一枚になる。
たぶんそこには、
その時の声や、空気や、親の気持ちが写っているのだと思います。
子どもが小さい頃の写真を見返すと、
写っているのは子どもの姿だけではありません。
その頃の暮らし。
毎日あわただしかったこと。
抱っこばかりで大変だったこと。
でも、気づけばその時間がとても短かったこと。
写真を見ることで、
その時の自分たちまで思い出すことがあります。
だから僕は、
写真は「今の姿を残すもの」であると同時に、
「未来の自分に届くもの」でもあると思っています。
撮影のとき、僕たちは無理にポーズを作りすぎるよりも、
その家族らしい空気が出てくる時間を大切にしています。
もちろん、きれいに整えた写真も撮ります。
でも、それだけではなく、ふとした表情や、何気ないしぐさ、
親御さんがお子さんを見るまなざしも、できるだけすくい上げたい。
その一枚は、今すぐ誰かに見せて「いいね」と言われる写真ではないかもしれません。
でも、数年後、十数年後に見返したとき、
「ああ、この頃ってこうだったよね」
と、心の中に静かに戻ってくる写真かもしれない。
イツモノヒカリで残したいのは、
そういう写真です。
特別な日だけではなく、
いつもの日常の中にあった光。
その時は当たり前すぎて気づかなかったけれど、
あとから思い返すと、たしかに大切だった時間。
映える写真も素敵です。
でも、残る写真には、また別の強さがあります。
家族の写真は、
きれいに見せるためだけのものではなく、
いつか自分たちを支えてくれるものでもある。
そんな一枚を、
夫婦それぞれのまなざしで残していきたいと思っています。



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