パパ目線の写真、ママ目線の写真
- Utsushi/うつし(夫)

- 3 日前
- 読了時間: 4分
家族写真を撮っていると、同じ時間の中にも、いくつもの見え方があるのだと感じます。
同じ場所にいて、同じ家族を見ていても、
どこに目が向くのか。
何を大切だと感じるのか。
どの瞬間にシャッターを切りたくなるのか。
それは、撮る人によって少しずつ違います。
イツモノヒカリでは、夫婦ふたりで撮影しています。
その理由のひとつに、
「パパ目線」と「ママ目線」の違いがあります。
ただしこれは、
父親だから必ずこう見る、母親だから必ずこう感じる、
という話ではありません。
家族のあり方も、親の感じ方も、それぞれ違います。
だから簡単に決めつけることはできません。
それでも、夫婦で撮影していると、
僕と妻では、自然と目が向く場所が少し違うことがあります。
僕は、少し引いたところから全体を見ていることが多い気がします。
光がどこから入っているのか。
家族がその場所にどう立っているのか。
背景や空間の中に、どんな時間の流れがあるのか。
お子さんの表情だけでなく、
その家族がいる場所ごと残したいと思うことがあります。
いつもの部屋。
いつもの公園。
家の前の道。
何度も通った階段。
その日、その場所にあった光。
あとから写真を見返したとき、
「あの頃、ここで暮らしていたんだな」
と思い出せるような写真を撮りたいと思っています。
一方で妻は、もっと近いところを見ているように感じます。
お子さんの小さな表情の変化。
少し緊張していた親御さんの気持ちがほどける瞬間。
抱っこを求める手。
ふとした声かけ。
子どもが安心しているときの、体のゆるみ。
その場にいる人の気持ちの動きや、
家族の中に流れている温度のようなものを、
自然に見つけているように思います。
僕が見落としている小さな変化を、妻が見ている。
妻が近くで感じている空気を、僕が少し離れた場所から見ている。
その両方があることで、
一枚一枚の写真に、少し奥行きが生まれるのだと思います。
家族写真は、きれいな表情だけを残すものではありません。
子どもが笑っている顔。
親御さんが見守っている顔。
兄弟姉妹の距離感。
少し照れている姿。
何気なく手をつないでいる瞬間。
その家族がいつも過ごしている場所の空気。
そういうものが重なって、
その家族らしい写真になっていきます。
一人の目線で撮る写真にも、もちろん良さがあります。
でも、夫婦ふたりで撮ることで、
同じ時間を少し違う角度から残すことができます。
正面から見た表情と、横から見たまなざし。
子どもの姿と、それを見ている親の表情。
家族の中心にある出来事と、その周りに流れている空気。
どちらか一方だけではなく、
その両方を残せることが、ふたりで撮ることの良さなのかもしれません。
撮影の時間は、特別なことをしてもらう時間というより、
その家族がいつもの自分たちに戻っていく時間でもあると思っています。
最初は少し緊張していても、
子どもが遊びはじめたり、
親御さんがいつもの声で話しかけたり、
家族の間にある空気が少しずつ出てくる。
そのとき、僕たちは無理に何かを作り込むのではなく、
そこにあるものを、それぞれの目線で見ています。
パパ目線の写真。
ママ目線の写真。
その言葉は、役割を分けるためのものではなく、
ひとつの家族を、ひとつの見方だけで決めつけないための言葉なのかもしれません。
家族の時間には、いろいろな面があります。
元気な表情もあれば、静かな表情もある。
子どもから見た親の姿もあれば、親から見た子どもの姿もある。
写真に写る出来事もあれば、その周りに流れていた気配もある。
イツモノヒカリで残したいのは、
そうした時間の重なりです。
同じ日、同じ場所、同じ家族。
でも、ふたつのまなざしで見ることで、
その時間は少し立体的に残っていく。
いつか見返したときに、
「こんな表情をしていたんだ」
「こんなふうに見守っていたんだ」
「この頃の空気は、たしかにこうだったんだ」
そんなふうに思い出せる写真を残したい。
それが、イツモノヒカリが大切にしている、
パパ目線の写真、ママ目線の写真です。
秦野を拠点に、神奈川周辺で家族写真・日常写真の出張撮影をしています。



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