なぜ、夫婦ふたりで撮るのか
- Utsushi/うつし(夫)

- 6月12日
- 読了時間: 3分
イツモノヒカリでは、夫婦ふたりで撮影しています。
それは単に、カメラマンが二人いるから安心、というだけではありません。
もちろん、二人で撮ることで見逃しにくくなる場面はあります。
お子さんの表情、親御さんのまなざし、ふとしたしぐさ。
一人が正面を見ているとき、もう一人は横からその空気を見ていることがあります。
でも、僕たちが夫婦ふたりで撮る理由は、もう少し別のところにもあります。
同じ家族を見ていても、僕と妻では、見えているものが少し違います。
僕は、光の入り方や、空間の中での立ち方、写真としての構図や流れを見ていることが多い気がします。
一枚の写真として、どう残るか。時間が経って見返したときに、どういう強さを持つか。
そんなことを考えながらシャッターを切っています。
一方で妻は、もっと近いところを見ています。お子さんの小さな変化。
親御さんの緊張がほどける瞬間。
その場の空気がやわらかくなるタイミング。
家族の中に流れている温度のようなものを、自然に見つけているように思います。
どちらが正しい、ということではありません。
同じ時間を、違う目線で見ている。
それが、夫婦ふたりで撮ることの意味だと思っています。
少し話は変わりますが、日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがあります。
それぞれ形も役割も違うのに、私たちはそれらを自然に組み合わせて言葉を読んでいます。
角ばった文字もあれば、やわらかな文字もある。
意味を強く持つ文字もあれば、音や余白を支える文字もある。
その違いがあるからこそ、日本語の表現には奥行きが生まれているのかもしれません。
僕にとって、夫婦で撮ることも、それに少し似ています。
僕の目線は、どちらかというとカタカナのように、形や輪郭をとらえるものかもしれません。
妻の目線は、ひらがなのように、やわらかく、その場の空気をすくうものかもしれません。
もちろん、これははっきり分けられるものではありません。
僕の中にもやわらかな目線はあるし、妻の中にも写真としての強い構成があります。
ただ、二人でいることで、ひとつの景色を一方向からだけ見ないでいられる。
それは、家族写真にとって大切なことだと思っています。
家族の時間は、きれいな瞬間だけでできているわけではありません。
笑っている顔も、少し困った顔も、抱っこを求める手も、何気なく見守る親の表情もある。
そこには、いくつものレイヤーがあります。
だからこそ、一人の目線だけではなく、二人の目線で残したい。
パパとして見る景色。
ママとして感じる空気。
写真家として整える視点。
家族として共感する気持ち。
それらが重なったとき、ただきれいなだけではない、その家族らしい写真に近づけるのではないかと思っています。
イツモノヒカリで残したいのは、完璧に作られた家族写真ではありません。
その日、その場所にあった空気。
お子さんの今の姿。
親御さんのまなざし。
そして、あとから見返したときに、心の中にもう一度灯るような時間。
夫婦ふたりで撮るのは、その光を、できるだけ一方向からではなく、いくつもの角度から残したいからです。
同じ時間を、二つのまなざしで。
ひとつの家族の物語として。
それが、僕たちが夫婦ふたりで撮る理由です。



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