なぜ、夫婦ふたりで撮るのか
- 夫 Utsushi/うつし

- 6月12日
- 読了時間: 3分
更新日:8月3日
イツモノヒカリでは、夫婦ふたりで撮影しています。
それは単に、カメラマンが二人いるから安心、というだけではありません。
もちろん、二人で撮ることで見逃しにくくなる場面はあります。
お子さんの表情、親御さんのまなざし、ふとしたしぐさ。
一人が正面を見ているとき、もう一人は横からその空気を見ていることがあります。
でも、僕たちが夫婦ふたりで撮る理由は、もう少し別のところにもあります。
同じ家族を見ていても、僕と妻では、見えているものが少し違います。
僕は、光の入り方や、空間の中での立ち方、写真としての構図や流れを見ていることが多い気がします。
一枚の写真として、どう残るか。時間が経って見返したときに、どういう強さを持つか。
そんなことを考えながらシャッターを切っています。

一方で妻は、もっと近いところを見ています。お子さんの小さな変化。
親御さんの緊張がほどける瞬間。
その場の空気がやわらかくなるタイミング。
家族の中に流れている温度のようなものを、自然に見つけているように思います。

どちらが正しい、ということではありません。
同じ時間を、違う目線で見ている。
それが、夫婦ふたりで撮ることの意味だと思っています。
少し話は変わりますが、日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがあります。
それぞれ形も役割も違うのに、私たちはそれらを自然に組み合わせて言葉を読んでいます。
角ばった文字もあれば、やわらかな文字もある。
意味を強く持つ文字もあれば、音や余白を支える文字もある。
その違いがあるからこそ、日本語の表現には奥行きが生まれているのかもしれません。
僕にとって、夫婦で撮ることも、それに少し似ています。
僕の目線は、どちらかというとカタカナのように、形や輪郭をとらえるものかもしれません。
妻の目線は、ひらがなのように、やわらかく、その場の空気をすくうものかもしれません。
もちろん、これははっきり分けられるものではありません。
僕の中にもやわらかな目線はあるし、妻の中にも写真としての強い構成があります。
ただ、二人でいることで、ひとつの景色を一方向からだけ見ないでいられる。
それは、家族写真にとって大切なことだと思っています。
家族の時間は、きれいな瞬間だけでできているわけではありません。
笑っている顔も、少し困った顔も、抱っこを求める手も、何気なく見守る親の表情もある。
そこには、いくつものレイヤーがあります。
だからこそ、一人の目線だけではなく、二人の目線で残したい。
パパとして見る景色。
ママとして感じる空気。
写真家として整える視点。
家族として共感する気持ち。
それらが重なったとき、ただきれいなだけではない、その家族らしい写真に近づけるのではないかと思っています。
イツモノヒカリで残したいのは、完璧に作られた家族写真ではありません。
その日、その場所にあった空気。
お子さんの今の姿。
親御さんのまなざし。
そして、あとから見返したときに、心の中にもう一度灯るような時間。

夫婦ふたりで撮るのは、その光を、できるだけ一方向からではなく、いくつもの角度から残したいからです。
同じ時間を、二つのまなざしで。
ひとつの家族の物語として。
それが、僕たちが夫婦ふたりで撮る理由です。



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