子どもの記憶より先に、親の時間が消えていく。
- Utsushi/うつし(夫)

- 6月10日
- 読了時間: 3分
家族写真を撮っていると、
「子どもの成長を残したいんです」
という言葉をよく耳にします。
その気持ちは、とてもよくわかります。
昨日までできなかったことが、今日はできるようになっている。
小さかった服はあっという間に着られなくなり、
抱っこを求めていた腕は、いつの間にか離れていく。
子どもの時間は驚くほど速く流れています。
だから私たちは、その変化を残したくなるのでしょう。
けれど、写真を見返していると、ふと別のことに気づくことがあります。
消えていくのは、子どもの時間だけではない。
親の時間もまた、静かに過ぎ去っているのだということです。
数年前の写真に写っているお母さんは、
今より少し幼い顔をしているかもしれません。
お父さんの抱っこの仕方も、
どこかぎこちなかったりします。
子どもに目を向けていると気づきませんが、
親もまた、その瞬間にしか存在しない時間を生きています。
初めての子育てに戸惑っていた頃。
夜泣きで眠れなかった日々。
手をつなぐことが当たり前だった季節。
そのどれもが、
もう二度と同じ形では戻ってきません。
けれど不思議なことに、
親は自分自身の変化をあまり記録しようとはしません。
子どもの写真はたくさん残っていても、
そこに写る自分の姿には無頓着だったりします。
だから数年後、
写真の中の子ども以上に、
自分自身の姿に心を動かされることがあります。
「あの頃はこんなふうに笑っていたんだ」
「こんな毎日を過ごしていたんだ」
そんなふうに。
写真は、子どもの成長記録であると同時に、
親が生きた時間の記録でもあるのだと思います。
私たちが撮影しているのは、
特別な出来事ではありません。
いつもの公園。
いつもの散歩道。
いつもの家。
何気ない日常です。
けれど、あとになって振り返ると、
その何気なさこそが、最も失われやすいものだったりします。
家族写真は、
未来の子どもへ向けた贈り物でもあります。
しかし同時に、
未来の自分たちへの手紙でもあるのかもしれません。
子どもの成長を残そうとしていたはずなのに、
気づけば、そこには親として生きていた時間も写っている。
だから私たちは、
「今しかない瞬間」を追いかけるよりも、
今ここに流れている日常を丁寧に残したいと思っています。
数年後。
子どもは大きくなり、
暮らしも少し変わっているでしょう。
そのとき写真の中から立ち上がってくるのは、
成長した子どもの姿だけではありません。
その子を見つめていた親の時間もまた、
静かにそこに残っているはずです。
子どもの記憶より先に、
親の時間は消えていく。
だからこそ、
その何気ない日々を残しておきたいと思うのです。



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