top of page

子どもの写真を残したいのではなく、その頃の自分たちを残したいのかもしれない

  • 執筆者の写真: 夫 Utsushi/うつし
    夫 Utsushi/うつし
  • 6月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:8月3日

家族写真というと、まず思い浮かぶのは、子どもの成長を残すことだと思います。


生まれたばかりの頃。

歩きはじめた頃。

少しずつ言葉を覚えていく頃。

毎年の誕生日や、七五三、入園、入学。


モノクロの接写で、赤ちゃんがカメラを見て笑っている。背景は落ち着いたぼんやりした室内。

子どもの成長は本当に早くて、気づけば昨日までの姿には戻れなくなっています。

だから写真に残しておきたい。

その気持ちは、親としてとても自然なものだと思います。


でも最近、家族写真を撮りながら思うことがあります。


僕たちはもしかすると、子どもの写真だけを残したいのではなく、

その頃の自分たちも残したいのかもしれない、と。


小さな子どもと過ごす毎日は、きれいな場面ばかりではありません。


朝から準備に追われたり、

思うように出かけられなかったり、

何度も同じことを言ったり、

抱っこで腕が疲れたり、

ようやく寝たと思ったら、また起きてしまったり。


その時は、ただ目の前のことで精一杯で、

「今が大切な時間です」と言われても、なかなかそんなふうには思えないこともあります。


でも、少し時間が経って写真を見返すと、

その大変さも含めて、ひとつの時間だったのだと感じることがあります。


大人の手で哺乳瓶を飲む赤ちゃんの接写。やわらかな光の中、白い服とブランケットに包まれた穏やかな場面

写真に写っているのは、子どもの顔だけではありません。


その子を見ていた親のまなざし。

散らかった部屋の空気。

いつも通っていた公園の光。

何気なく着ていた服。

抱っこしていた腕の感じ。

家族で過ごしていた、その頃の温度。


そういうものまで、写真には静かに写っている気がします。


子どもが大きくなったとき、

写真を見て思い出すのは、子どもの姿だけではないかもしれません。


「あの頃、自分たちはこんなふうに暮らしていたんだな」

「毎日大変だったけれど、たしかに愛おしい時間だったんだな」

「この子をこんな目で見ていたんだな」


そんなふうに、自分たち自身の時間を思い出すことがあると思います。


だから、イツモノヒカリで撮る家族写真は、

お子さんをきれいに写すことだけを目的にはしていません。


もちろん、かわいい表情も、自然な笑顔も、大切に撮ります。

でもそれと同じくらい、親御さんのまなざしや、家族の距離感、その場に流れている空気も大切にしたいと思っています。


子どもが主役であることは間違いありません。

けれど、その写真の中には、子どもを見守っていた人たちの時間も残っている。


桜の木の下の石段に座る親子3人の後ろ姿。父母と幼い子どもが春の公園で花見をしている。落ち着いた雰囲気。

それが、家族写真のいいところだと思います。


今は当たり前すぎて、特別には見えない日常。

いつもの部屋。

いつもの道。

いつもの公園。

いつもの抱っこ。

いつもの呼び声。


でも、数年後には、その「いつもの」が、もう戻れない時間になっていることがあります。


だからこそ、特別な記念日だけではなく、

なんでもない日の家族写真にも意味があるのだと思います。


写真は、未来のためだけのものではありません。

でも、未来の自分たちを支えてくれることがあります。


あの頃の子どもに会える。

あの頃の暮らしを思い出せる。

そして、あの頃の自分たちにも、少しだけ会える。


僕たちが残したいのは、そういう写真です。


子どもの成長を残す写真でありながら、

親として過ごした時間も、そっと残っている写真。


いつか見返したときに、

「ああ、ちゃんとここにあったんだな」と思えるような、

いつもの日常にあった光。


イツモノヒカリは、そんな家族写真を残していきたいと思っています。

 
 
 

コメント


bottom of page